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カトリック赤羽教会
カトリック赤羽教会へようこそ

カトリック赤羽教会

ごあいさつ

主任司祭 フランシスコ 平孝之

カトリック赤羽教会は、赤羽駅東口から賑やかな通りを少し歩いたところにあります。ゴシック様式の教会は、創建から70年を経て赤羽の街に馴染んでいます。
戦後間もなくこの地に教会建設用の土地を求めてやって来たのは、コルベ神父と共にポーランドから来日したゼノ修道士でした。ゼノ修道士は、エリザベト北原怜子らと共に、隅田川の言問橋周辺にあった蟻の町と呼ばれる地域での奉仕活動をはじめ、様々な救援活動のため全国に奔走してゆきます。
カトリック赤羽教会では、入門講座、幼稚園、教会学校、ボーイスカウト、聖母の騎士会、在世フランシスコ会他様々な活動を行っています。
どうぞお気軽にお立ち寄りください。


カトリック赤羽教会
カトリック赤羽教会沿革

カトリック赤羽教会
1947年(昭和22年)12月8日、無原罪の聖マリアの祭日に教会の定礎式が行われ、1949年(昭和24年)8月15日に小教区として正式に認可され赤羽教会が誕生いたしました。

1951年(昭和26年)11月に土井大司教様の祝別式により聖堂が落成し、被昇天の聖母に捧げられ、自然を愛し平和を求めたアッシジの聖フランシスコを師父として仰ぐ、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の司祭によって司牧されています。
赤羽教会の設立は、当初長崎を拠点として活動していたコンベンツアル聖フランシスコ修道会が終戦後、東京に新しい修道院や神学生養成のための神学校の必要性を強く感じたことに起因します。
ドナド・ゴスチンスキー神父とゼノ修道士が派遣され、赤羽にその地をみつけ、戦争中の空襲で焼けた工場跡のこの土地を、当時の管区長であったサムエル・ローゼンバイゲル神父がアメリカからの寄付金で購入しました。
1951年11月に聖堂が祝別されたのを見た同神父は、25年後の教会記念誌に「この聖堂は私に、アメリカの多数の恩人たちの愛を語りかけるように迫ってまいりました。この恩人たちは、たびたび病気に苦しみ、あるいは老衰の悩みにもかかわらず、寄付集めをして協力してくださったのです。」と書かれています。
当時は授産施設がありましたが、その後、教会付属の聖母の騎士幼稚園が設立され、多くの卒園児をおくりだしています。

かつては、JR赤羽駅ホームから見えた教会も、現在は、高いビルに囲まれて見え隠れしています。北区の景観百選にもえらばれ、教会の庭には椿、梅、桜、藤など四季折々の花が美しく咲き、地域のオアシスとしての役割も果たしています。
今も、聖母の被昇天祭には、マリア様のご像を御輿の山車のように引きながら、歌を歌い近隣の商店街を練り歩き、地域に親しまれる教会を目指しています。


カトリック赤羽教会
コンベンツアル聖フランシスコ修道会の紹介

●創立者アッシジの聖フランシスコ(1182-1226)と修道会

聖フランシスコ大聖堂

コンベンツアル聖フランシスコ修道会は、アッシジの聖フランシスコ(1182-1226)により創立されたカトリックの修道会です。黒色の修道服を身につけています。コンベンツアル会は、聖フランシスコの墓所でもあるアシジの聖フランシスコ大聖堂とサクロコンベント(修道院)を維持し続けています。研究分野の中心は、ローマにある聖ボナベントゥラ神学大学です。教育と文化の中心としてパドアの聖アントニオ神学院もあります。
修道会総本部は、ローマ市中央部に位置する十二使徒修道院です。現在、4,225名の会員が在籍し、全世界67カ国(アフリカ7カ国、アメリカ大陸18カ国、アジア10カ国、ヨーロッパ31カ国とオーストラリア)に、33の管区、20の分管区があり、修道院の数は合わせて631あります。(2015年現在)

●日本管区の創立者 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894-1941)

聖コルベ

コンベンツアル聖フランシスコ修道会日本管区の創立者。1930年(昭和5年)来日し、長崎で聖母の騎士修道院を開設。出版による布教活動を開始し、『聖母の騎士』誌を創刊。1941年8月14日、アウシュビッツ強制収容所にて、死刑を宣告された同僚の身代わりを申し出て同収容所で殉教。1982年教皇ヨハネ・パウロ2世により聖人の列に加えられる。記念日は8月14日。家族の保護の聖人。

カトリック赤羽教会
聖フランシスコと聖コルベ神父の聖遺物

聖堂脇祭壇に、聖フランシスコと聖コルベ神父の聖遺物を安置いたしました。聖フランシスコの遺灰は、赤羽教会の献堂(1949年)を記念して、聖コルベ神父の遺髪は、コルベ神父列聖(1982年)を記念して、コンベンツアル聖フランシスコ修道会ローマ総本部より寄贈されたものです。

また聖堂入り口には、コンベンツアル会のゼノ・ゼブロフスキー修道士の遺影も設置しました。ゼノ修道士は、東洋への布教のため、コルベ神父様とともに1930年(昭和5年)、来日し、長崎で活動しました。戦後1947年東京の拠点を求めて、この赤羽の地を見つけ、赤羽教会が発足しました。
聖人・先人たちの取り次ぎを願いつつ、わたしたちの信仰の支えとなることを願って、公開することといたしました。

●アシジの聖フランシスコ
(1182-1226)の遺灰

コンベンツアル聖フランシスコ会の創立者。イタリア・ウンブリア州アッシジにて裕福な織物商人の息子として生まれる。サンダミアーノ教会で「私の教会を建て直しなさい」との神の声を聞き、すべての持ち物を捨てて神との生活に入った。1209年『小さき兄弟会(フランシスコ会)』を設立。墓所のある聖フランシスコ大聖堂には、世界中から巡礼者が訪れている。聖人の記念日は10月4日。環境保護の聖人。

●聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父
(1894-1941)の遺髪

コンベンツアル聖フランシスコ修道会日本管区の創立者。1930年(昭和5年)来日し、長崎で聖母の騎士修道院を開設。出版による布教活動を開始し、『聖母の騎士』誌を創刊。1941年8月14日、アウシュビッツ強制収容所にて、死刑を宣告された同僚の身代わりを申し出て同収容所で殉教。1982年教皇ヨハネ・パウロ2世により聖人の列に加えられる。記念日は8月14日。家族の保護の聖人。

●ゼノ・ゼブロフスキー修道士
(1891-1982)の遺影

コルベ神父とともに来日し、コルベ神父の右腕として、何でもこなす。長崎で『聖母の騎士』誌の出版と普及に尽力する。戦後、戦災孤児や「蟻の街」での活動など、日本のボランティアの先駆けとして全国各地で支援活動を行う。1982年、来日した教皇ヨハネ・パウロ2世は、ゼノ修道士の入院先を訪問。当教会を拠点として活躍した、赤羽教会ゆかりの人物です。

●赤羽教会スタンプ

 

赤羽教会を訪れる巡礼者のためにスタンプとスタンプ台を用意いたしました。どうぞご利用ください。